915南三陸 MUSIC FES
地元の有志が集まり、自分達の街を仲間を、もっともっとたくさんの笑顔にと立ち上げた手作りのイベント。

FESリーダーに直接色んな話をきかせてもらう中、彼らの熱意に共感して、参加させてもらう事にした。

311、あれから約二年半、街の整備や、目に見える形は、それでも少しづつ復興を進めていく中、大切な人や仕事、生きがいを失った人々の心には、今もぽっかりと穴が空いたまま。表に見えてこない深い傷跡を生んでしまっている。

毎年ボランティアで伺っている岩手県大槌町で、先日地元の方々からお話を伺った時も、全く同じ状況のストーリーを耳にしたばかりだった。
地元の有志が集まって、野菜をつくるサークルをつくったり、草むしりのボランティアをはじめたり。目的は、一人 部屋に閉じこもってしまってる方々を、なんとか表に引っ張り出して、皆と一緒になって過ごせるきっかけをつくるためだった。
皆さん毎日試行錯誤の中、一生懸命に動いていらっしゃる。

俺にとって南三陸は、震災後はじめて足を運んだ場所。
音楽なんて、まだまだとてもじゃない震災後間もない時期に、三崎の漁師の方から預かったでっかいマグロとアレルギーを持つ子供達の食料をもって、仲間達とまずは向かった。
何が出来るのか、道ゆくバスの中、皆でいろんな話をしながら現場に向かったけど、想像と現実には大きなギャップがあった。
直接会って感じなきゃ、何にもわからない事を何より実感させられた。

そして、二度目に南三陸を訪れた時、30代の奴らに引き止められたのがきっかけだった。皆で、円になっていろんな話をした。声がつまるような、そんな場面もたくさんあった。それでも『オレ達、かならずこの街を復活させますから』と、強気で元気な表情もみせてくれたり。そして最後に皆のリクエストが響いた。アカペラだったけど、『離したくはない』 を大切に歌った。
また来るからと、大きく手を振りながら別れた記憶、今も鮮明に感じてる。

自分達の街を仲間を自分達の力で笑顔にしたい。それは小さな形かもしれない、けれど、こんな本当の形が、ひとつ、そしてまたひとつ生まれていけば、必ず力になる。本当に今必要な力になる、そう思う。
教科書どおりになんて、計画通りになんて動かせやしない。けれど音楽を通して、
このイベントを通して、みんなの思いがみんなの愛が、元気に笑顔に少しでも多く繋がっていけばと心から願ってる。

あの日の約束をこの胸に。
そして、俺の思いはメンバーへと仲間たちへと繋がって、
今回915南三陸 MUSIC FES

T-BOLANへと動いた。

沢山のみんなと会える事楽しみにしてる。
情報を仲間たちと共有、拡散してくれ。
915、南三陸MUSIC FESで会おう。

今ここから Count Down T-BOLAN が始まる

森友嵐士 2013 年 夏の終わりに